教育の成果をどうみるか
私が小学校の2年生のときまで校長先生をされていて、たしか一昨年に亡くなった詫間治一先生の著書を見せていただきました。その本のなかにちょうど私が在学中のころのことが書かれていました。

「西伊敷小の思い出」

私が西伊敷小学校にお世話になったのは、昭和五十三年四月から五十六年四月までの満三年間でした。

 初代校長の山下先生が一生懸命頑張られて、校舎・講堂・プール等の建設も終り、基礎が確立された後に、私は第二代校長として赴任したのです。当時西伊敷小は児童数1850名余、市内屈指の大きな学校で、子ども達は大変利発でしかも御父兄が教育に熱心でした。私個人としても長い教員生活、最後の勤務校であるという感慨をもっていたのです。

 学校に着任して最初に思ったことは、外観はこれでよし、これからは内容の充実である。そのためには、子ども達の学力向上に努力せねばならないと考えました。

 そこで、先生達と話し合って、学力診断テストをしたり、校内の授業研究を毎日したり、学年部会、教科部会を実施しました。さらに、校長として毎週月曜日の朝礼で感動的な講話をして、子ども達のやる気をふるい興さねばならないと決意しました。

 僅か五分間によい話をすることは難かしいことで、仲々の準備がいります。加えて、話術が上手でなければなりません。私にとってもよい勉強になりました。
 
 今になればなつかしい思い出です。では、子ども達が反応してくれた話のいくつかを拾ってみましょう。
 
 その一、「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば、煙はうすし桜島山」平野国臣の有名な詩の意味を教えて、三年生以上は、ぜひおぼえなさいと数回みんなで合唱しました。後日、お母さん達から「うちの子は入浴中に大声でこの詩を暗唱します。」と聞いて嬉しくなりました。
 
 その二、椋鳩十さんの本から話題を見つけてよく語をしました。ある日お母さんが「私の子どもはいじめられてばかりです」と苦情をいって来られたのです。私は翌日朝礼で「片あしの母すずめ」という語をしました。つい私も涙声になりましたが、泣いていた児童もいました。
 
 その三、今から270年程前伊集院のはずれの農家に四民のお坊さんが泊りました。初めて「さつまいも」を食べて驚き、「この種いもをください」と頼むのです。当時は軍時食として藩外不出のものでした。苦心の末濠に入れて、ついに藩外に持ち出した話をしたのです。昔の偉い人の話に子ども達の目は輝いていました。
 
 その四、西伊敷小は習字、図画、音楽、スポーツ、工作、理科が盛んで、よく賞をもらいました。この児童の中から、学者、オリンピックの選手、音楽家、画家が出るようにと激励すると、子ども達がうなずくのです。思い出はつきません。西伊敷小の発展を祈ります。

 という内容でした。その朝礼から28年余りが過ぎました。卒業生から学者・オリンピック選手・音楽家・画家・・・輩出したのかどうかは、同窓会名簿が整備されていないので調べようがないので、わかりませんが、少なくとも政治家は生み出したのでは(笑)と思います。

 また、その当時の全校朝礼でこのような話がされていたのかと、なるほどと思うことがあります。

 人材育成には、長い時間がかかります。公教育の再生をどうすべきか、宅間先生の著書を読みながら考えることでした。

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by fujisakitakeshi | 2009-03-03 05:26 | 西伊敷のこと
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