生きていた曾祖父=藤崎家の場合=
2010年 08月 27日
高齢者の行方不明が社会問題化するなかで、住民票や戸籍制度の盲点が指摘されています。一連の報道を聞きながら、我が家の10年前を思い出しました。
平成元年、私が高校生のとき、自分のルーツを調べるために曾祖父の除籍謄本を取りに行ったときの当時の隼人町役場でのことです。曾祖父は明治36年に兄一家から分家して宮之城に行って、新たに戸籍を作ったはずなのに、隼人町にも戸籍として残っていたのです。戸主が生きていれば戸籍謄本、亡くなっていれば除籍謄本がとれるのですが、曾祖父は戸籍謄本でした。生きていたのです。
私「あの、この藤崎末吉という人は明治36年に分家して、宮之城に新戸籍を作り、昭和33年に亡くなっているのですが」
戸籍の窓口「えっ?そうなをですか?」
私「生きていれば110歳超えてますが、間違いなく亡くなっています。どこかで間違って戸籍が残されてしまっています。」
当時私は、戸籍制度に大変興味があり、曾祖父の分家前の戸籍と分家後の除籍謄本を示して、間違いがおこった原因を窓口の担当者の方に教えてあげたのです。
その後、曾祖父の戸籍は誤りを正す手続きが取られたはずで、正式に除籍になりました。その後取り寄せた除籍謄本には「分家に伴う入籍は誤記につき、本戸籍抹消」との記載が書かれているはずです。
もしあのとき私が誤りをしていなければ、霧島市役所の戸籍のファイルのなかで曾祖父は今でも生きていることになっていますね。
人の生存確認に関わる部分が役所の縦割りのなかで、確認できない現実もなんとか変えなければいけません。また家族や近隣住民との希薄化した人間関係も解決していかねばなりません。
役所のおこなう事業には、華々しいハード整備が注目されがちですが、地味で注目されないかもしれませんが、ソフト事業こそが、日本再生、鹿児島再生につながると確信しています。