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父方の祖父のこと

 写真は昭和30年10母方に続いて父方の祖父・藤崎良盛(=一番左)のこと。写真は昭和30年10月に宮之城屋地の店の前で撮られた写真です。写真の店の左側は先日のMBCのTEGETEGE2で紹介された二刀流の店「靴屋のパスタ」で紹介されたPrimo Passoです。祖父はこのとき52歳。親元の下駄屋から独立して32年目、大東亜戦争が終わって10年目。ちょうど鹿児島県が一番人口の多い時期です。下駄屋からゴム製品を取り扱う履物店へ移行した頃でしょうか、副島ゴムの社長(?)らしき方が来た記念みたいです。4人の子供のうち上の2人が成人し、下の2人は、当時小学生でうちの父親は写っていません。多分盈進小学校で授業中です(笑)。祖父は1903年生まれなので、38歳のとき戦争が始まり、42歳のときに終戦を迎えています。宮之城にも空襲があったり、日本の行く末がどうなるのか、ヤキモキする日もあったかもしれません。祖父は幼い頃製材所で遊んでいて材木が崩れてきて足に大けがをし、当時の宮之城にはいい医療技術もなく、足に障害が残ったため、兵隊に召集されませんでした。よく見ると、看板には「電話136番」とあります。宮之城のなかでも早いうちに電話が引かれたはず・・電話があれば仕事に役立つと思って入れたのたのでしょう。1枚の写真が、経済・文化を物語月に宮之城屋地の店の前で撮られた写真です。写真の店の左側は先日のMBCのTEGETEGE2で紹介された二刀流の店「靴屋のパスタ」で紹介されたPrimo Passoです。祖父はこのとき52歳。親元の下駄屋から独立して32年目、大東亜戦争が終わって10年目。ちょうど鹿児島県が一番人口の多い時期です。下駄屋からゴム製品を取り扱う履物店へ移行した頃でしょうか、副島ゴムの社長(?)らしき方が来た記念みたいです。4人の子供のうち上の2人が成人し、下の2人は、当時小学生でうちの父親は写っていません。多分盈進小学校で授業中です(笑)。祖父は1903年生まれなので、38歳のとき戦争が始まり、42歳のときに終戦を迎えています。宮之城にも空襲があったり、日本の行く末がどうなるのか、ヤキモキする日もあったかもしれません。祖父は幼い頃製材所で遊んでいて材木が崩れてきて足に大けがをし、当時の宮之城にはいい医療技術もなく、足に障害が残ったため、兵隊に召集されませんでした。よく見ると、看板には「電話136番」とあります。宮之城のなかでも早いうちに電話が引かれたはず・・電話があれば仕事に役立つと思って入れたのたのでしょう。1枚の写真が、経済・文化を物語ってくれます。身近な祖父が、何歳のとき、どんな人間関係のなかで仕事をして、家族を養ってきて、今自分がいるのにつながっているのかーこれからの自分の人生を進めるうえで参考になります。

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by fujisakitakeshi | 2014-03-01 16:52