鹿児島市の南林寺町にあった南林寺。その境内には広大な墓地があったと聞いています。大正年間に、鹿児島市の発展のために、広い土地を作るために墓地移転事業を実施しました。草牟田墓地・郡元墓地などを回ると、「・・・南林寺墓地より移転・・」と墓石に書いてあるものがあります。多くの皆様が墓石を移転させたことがわかります。
薬師に残る西郷家の墓(鹿児島市) | 明治維新と鹿児島みて歩き (kagoshima-meijiishin150.com)(リンク参照)は、その際に南林寺墓地から、当時薬師に住んでいた西郷菊次郎の自宅が近いとのことでここに移されています。
ところが、岡本まもる著の「怪物上原三郎」にこのような記述があります。247ページ。上原三郎が、鹿児島新港から甲突川河口にかけての洲崎埋め立てに関し、このように発言しています。「・・・・・・その付近は、南林寺墓地の墓石を捨てた場所なので、累々たる墓石が出てくるはずだ・・・・・・」とあります。主語が書いていませんが、移転事業を実施したのは鹿児島市なので、市による海底投棄の事実を私(=三郎)は知っているんだと解せられます。
南林寺墓地、多くの由緒墓があって、どうしても無縁のものだけそうなったのか?その辺はわかりませんが、海底を探せば本当に墓石はあるのでしょうか?