鹿児島県には公文書館が設置されていない関係で、明治四年の廃藩置県以降の鹿児島県庁が作成した公文書とみられるものが、県立図書館に「図書」として、黎明館に「史料」として所蔵されています。また、国立公文書館つくば分館にも鹿児島県内の村々の「竿次帳」が保管されています。この中にはさつま町関係のものも含まれていますが、あまり知られていません。
私はこのうち、県立図書館にある「金禄公債証書渡牒」(=以下渡牒と称す)について興味を持ち、自分にゆかりのある地域を紐解いてみました。この渡牒は百十二冊あります。書名は全て同じ名前になっていて、その内訳は鹿児島城下は大区小区ごとにそれ以外は郷ごとに検索することができるようになっています。鹿児島県内全ての地区が完備されているわけではなく、揃っていない地区もあります。
さつま町関係では、山崎郷・鶴田郷・宮之城郷の渡牒が残っています。金禄公債は、士族の救済のために実施された制度であり、金禄公債を受け取った人名録になります。以下、その人名を列挙しますが、該当ページにたどりつけば、大浦兼武のように個人がいくらもらっていたかを知ることができます。鶴田郷は二つの渡牒にまたがって掲載されていたものを、名寄せしました。また人名は掲載順ではなく、探しやすいように本稿では五十音順に並べ替えてあり、県立図書館で原本を閲覧する際は、ご注意ください。
【山崎郷(3名)】
今邸四郎兵衛・帖佐堅蔵・肝付相左衛門
(注:邸は「邨」の可能性もあります)
【鶴田郷(185名)】
石塚庄之助・石塚新兵衛・石塚正右エ門・石塚喜右エ門・市来市左エ門・市来市郎右エ門・市来猪之助・市来覺太・市来義代・市来丈右エ門・市来城輔・市来城輔・市来次兵衛・市来角右エ門・市来半之助・市来休五郎・井上一郎・井上伊兵衛・井上權兵衛・井上曽兵衛・井上傳・井上半之允・井上彦五郎・井上藤太・井上武左エ門・井上右七郎・井上弥右エ門・岩崎平内・植村市左エ門・植村孝悦・植村仲助・宇宿傳左エ門・大迫孫藏・大庭源之進・大山勇左エ門・大山宇右エ門・大山源次郎・大山喜右エ門・岡村嘉兵衛・岡村吉兵衛・岡村作左エ門・岡村藤右エ門・岡村平助・岡村與惣右エ門・岡村喜左エ門・小田沢右エ門・小田次治・鬼塚五兵衛・海江田嘉次郎・海江田角右エ門・勝目源太郎・鎌田徳兵衛・川野吉之助・川野次郎兵衛・祁答院七左エ門・祁答院誠彦・祁答院彌九郎・祁答院六兵衛・祁答院渡右エ門・郷仲太左エ門・河野市次・河野善兵衛・河野宗袈裟・河野喜吉・兒玉伊右エ門・小山諸右エ門・税所權之丞・税所宗次郎・佐藤四郎左エ門・柴喜納・園田小藤次・園田八郎兵衛・曽山八藏・髙木袈裟太郎・髙木八郎・竹下喜太郎・田中小次郎・田中廣二・谷口典右エ門・谷口與右衛門・谷山善左エ門・谷山竹助・谷山太右エ門・谷山登亮・谷山喜平太・谷山休助・谷山淙太郎・田野仲右エ門・田野諸左エ門・玉利福右エ門・知敷正兵衛・束田次左エ門・手塚勇右エ門・東郷新介・東郷太郎兵衛・東郷七左エ門・中尾伊右エ門・中尾五郎右エ門・中尾彦四郎・中尾彦太郎・中尾恰次郎・永田十兵衛・永田源右エ門・中村五郎右エ門・中村仲助・中村萬次郎・西川宇之助・西川誠一郎・西川誠一郎・西川武・西川盛左エ門・西川矢兵衛・西田市郎右エ門・仁科伊右エ門・仁科正兵衛・野元甚四郎・野元正兵衛・橋元藏右エ門・橋元喜左エ門・林田休兵衛・原田助左エ門・東喜右エ門・福田勇右エ門・福田半兵衛・福田半右エ門・福田源太郎・福田源右エ門・福田淙助・藤嶺徳之進・藤嶺八郎右エ門・渕脇出右エ門・淵脇半介・前田作太郎・正岡善之進・正岡藤兵衛・正岡與右エ門・松元八之進・満尾喜助・宮之原太郎・宮之原矢一郎・村田市郎右エ門・村田嘉左エ門・村田孝右エ門・村田權之丞・村田權太夫・村田庄之進・村田武右エ門・村田喜一郎・村田六郎右エ門・餅田嘉納次・餅原新助・柳田傳次郎・柳田喜左エ門・柳田喜兵衛・柳田喜宗右エ門・山口彦八・山下新・山下治兵衛・山下岸松・山下券輔・山下次郎兵衛・山下友五郎・山下友五郎・山下久末・山下藤五郎・山田岩太・湯田市郎右エ門・湯田次郎左エ門・湯田文之助・吉井八郎・吉永孝左エ門・吉永半次郎・四位重左エ門・四位正一郎・四位矢之助・四位喜次郎・若松覺衛・若松吉太郎・若松常盤・若松彦兵衛・若松藤兵衛・若松類之助
【宮之城郷(90名)】
有川喜左エ門・有馬峯千代・生駒庄兵衛・伊地知租・出石武兵衛・出石宗市・和泉祐太夫・和泉庸蔵・市来健・市来恕誠・市来藤次郎・市来源次・市来利右衛門・稲津郷右衛門・指宿早七・岩倉八郎太・上床甚左エ門・宇治野研介・上井嘉兵衛・江藤吉次郎・大磯孝平太・大浦兼武・大久保小八・大久保矢之助・小城市左エ門・小田庄七・小野原早八・川口喜助・神田橋耕内・神田橋彦八・岸良常八・久保田源太郎・栗田吉次・桑波田吉之介・桑元休四郎・小柳孫右エ門・相良次太夫・酒匂源四郎・島子彌右エ門・杉元喜右衛門・染川五納右衛門・染川荘助・染川庄七・竹之内藏兵衛・竪山吉左衛門・竪山半右エ門・竪山矢之助・田中彦四郎・種子田抽・玉利八左エ門・土屋善兵衛・手塚彦右エ門・東條斧助・東條用右エ門・鳥居供・中野七左衛門・中村與左衛門・永山竪七・仁科源左エ門・野間休助・野村万之助・橋口清之進・橋口清六・橋口五兵衛・橋口源助・橋口源八・春田甚五左エ門・本田八左エ門・前田五兵衛・正岡半次郎・松尾早兵衛・松下庄助・松下丹助・松田俊蔵・松原吉千代・満尾利左エ門・満尾六太夫・餅田嘉之助・餅田四郎左エ門・餅田休四郎・薬丸軍六・矢野八郎兵衛・山内喜兵衛・山下利右衛門・山本直記・吉谷伊右衛門・四元早右衛門・領家定八・領家八左エ門・領家源次
この名簿ができたのが、明治十二年ですので、西南戦争後になります。県立図書館で各個人ごとのページを見ていただくと、西南戦争従軍による懲役刑を受けていたり、受給権利者が故人になっていて、相続人の名前が書いてあったりと様々な家族事情が読み取れます。また、「うちは武士と聞いているが、先祖の名前がない」という場合もあります。この場合は、公債の受け取り辞退なのか、調査漏れなのか、それともその部分の渡牒が散逸し、伝わらなかったのかについては、今となってはわかりません。この金禄公債は、もともと設定された金額が低く、額面の大して一定の利金が支給されました。しかし、生活費の足しにもならず、元士族が農業・商業へと様々な職種へ転業していくきっかけになっていきます。