(黎明館所蔵:桂庵禅師肖像画) 薩南学派の開祖に位置付けられ、現在の道徳の考え方の基礎を作った桂庵禅師。伊敷小学校校歌の歌い出しにも出てきます。1508年に伊敷仮屋の地で亡くなり、桂庵禅師の墓が残ってて、国の指定史跡になっています。この墓を守ってきたのが、墓の隣の上野家の歴代の皆さまです。
7月15日毎年恒例の桂庵禅師の墓前法要が行われ、位牌を預かる草牟田の光明禅寺の御住職の先導でお経があげられ、町内会の代表が参列しました。
墓の周りには、その時代ごとに、顕彰碑や献灯が建っていて、亡くなってからも長きに渡ってその業績を後世に残そうとした努力の跡が見られます。その1人が、明治時代の鹿児島県知事をした阪本釤之助氏で、阪本知事の名前も刻まれています。この方は、明治41(1908)年に没後400年祭を熱心に主導されたことで有名です。
今年3月、ファミリーヒストリーにて狂言師・野村萬斎氏のご先祖探しが取り上げられました。
父方のルーツ探しの紹介の後、母方の紹介の場面になりました。野村萬斎さんの母方は阪本であること、曽祖父は鹿児島県知事などを歴任した阪本釤之助と紹介されました。
(NHKファミリーヒストリーより)
私は平成20年、桂庵禅師500年祭りの実行委員をしていた関係で、桂庵禅師400年祭を熱心に取り組んだ県知事がいたと聞いていました。要は、400年祭は知事の肝いりで盛大に行われたので、500年祭も知事も参列して盛大にできないかという相談を受けて、それは実現することができました。
それから、14年ー当時の坂本知事は野村萬斎さんの曽祖父だったことが判明しました。
阪本知事の寄付した碑には文章も添えられています。是非、桂庵墓に野村萬斎氏をお連れし、ひいおじいさんの建てられた碑をご説明できる日がくればと願っています。