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鹿児島県議会議員として4期目。郷土史のことを書いていきます。
2020年 08月 28日 鹿児島市冷水町の興国寺墓地。お寺の跡地の墓地だけあって、由緒ある墓が数多くあります。また、入口付近には近年の墓もありますので、江戸時代から現代までの墓が混在しています。鹿児島市環境衛生課斎園係が所管しています。 この墓には数多くの一族の墓があります。「汾陽理心(かわみなみ・りしん)」島津義久の時代に明国から渡ってきた渡来人の墓です。故郷の汾陽(ふんよう)を由来にしてそのまま苗字にしたと系図...
薩摩の歴史のこと
2020年 08月 25日 数年前になりますが、ある経済人の方から、「東郷平八郎に関するものを何年もかけてオークションで集めたから、黎明館に寄贈したい」との相談がありました。 コツコツとネットオークションで落札したもの。おそらく鹿児島県内にもないものばかりだと・・・黎明館に持ち込み、鑑定してもらうと、まさにその通りでした。 またそのうちに東郷平八郎に関する何かの節目の年に企画展などが開かれて、お目にかかる日も来るかと...
2020年 08月 22日 平成30年(2018年)の明治150年のときに、古本屋で手に入れた「鹿児島明治百年史年表」。昭和43年の明治100年の時に出版された本です。この本には、幕末から昭和42年までの鹿児島に関わる事象について、〇月〇日何があったと記録されているものです。 当時の冒頭には金丸知事の言葉が書かれています。さて、今から150年前の明治3年を見てみると、まだ廃藩置県前で藩が存続中。ごく一部を抽出してみま...
2020年 08月 19日 鹿児島市立美術館の大山直幸館長さんのところにお邪魔した時に、このような本が書庫から出てきたと言って見せてもらいました。昭和7年に発刊された「薩英戦争従軍者名簿」というもの。誰がどこの部隊に所属しているかを書いてあります。全てを掲載できないのが残念ですが、薩英戦争のときにどこ村から何人動員して、どの防衛線に配置されていたかを見ることができます。最後のページには、昭和7年当時に生きていた17名の...
2020年 08月 17日 下伊敷の伊邇色神社、伊敷病院、玉里団地に囲まれた山。ここに玉江小学校の学校林があります。この続きの尾根は、中世の領主=伊敷氏の居城であったことが分かっている、南北朝期に伊敷忠純という人物がいることも判明している。山あり、谷あり。未開のトレッキングコースのようにも見えるが、れっきとした城跡。お由羅屋敷・伊邇色神社・妙国寺との場所の関係はこんな感じです。三木靖先生が作成した地図です。もう少し中...
2020年 08月 13日 下伊敷の町内会長さんから、「藤崎さん、妙国寺跡を探している史跡めぐりの方がいるのだけど、案内できませんか」との連絡を受け、現場に急行したことがあります。廃仏毀釈で破壊されたお寺で、今では跡形もありませんが、わずかに残る阿弥陀堂と墓石群がかずかに名残をとどめています。もともとはこんなお寺です。(三国名称図絵より)今では地図でこんな感じです。だいたいこの付近です。こんな由緒ありそうな墓石も残っ...
2020年 08月 11日 私のライフワークはご先祖探し。いつだったか、私の先祖の1人が西南戦争で亡くなっているのを発見しましたときに、大変驚いたことがあります。 父方の祖母の母方の祖母サヲの入っていた除籍謄本です。戸主の四位(しい)彦右衛門は、サヲの弟です。彦右衛門は明治3年生まれで、明治12年に相続しています。 もともとの本籍地は、南伊佐郡宮之城郷船木村62番戸。明治25年12月に船木129番戸同居、明治26年8...
2020年 08月 07日 乃木静子の銅像が鹿児島市に再建されたときに、完成披露の場面がありました。その時に調べたのが、関係者の子孫はいるのか?ということです。乃木家の方は、日露戦争で男子二人が戦死して、子孫はいません。そこで、静子の実家の湯地家について書いたものはないか調べたら、乃木静子についてまとめた戦前の本の1ページに書いてありました。 湯地家は、明治維新後に家族そろって東京移住しているので、兄弟の子孫の多くは...
2020年 08月 06日 西郷隆盛の夫人の名前。奄美大島在留中は愛加那さん、鹿児島に戻ってからイトさんの名前が知られています。イトさんとの結婚は誰が勧めたのかというのはよく話題になりますが、書いたものがありました。 「有川矢九郎」ー幕末の薩摩の歴史にちらほらとその存在が知られている方。でも、その半生を書いたものがなく、もっと知られても良い方。イトの母と矢九郎の妻がいとこ同士と書いてあります。そういった理由で、矢九郎...
2020年 08月 04日 明治2年の藩政改革。戊辰戦争が終わり、「御一新」の名前で明治時代がスタートしました。鹿児島城下には、戊辰戦争から凱旋した下級武士が、藩政の改革を求めました。版籍奉還、廃藩置県の少し前のことです。 このときに、島津家の分家筋や、歴代家老職を務めてきた家=門閥の皆様が解職され、下級武士が推薦した人事で藩政を進めることになりました。ちょうど、このページを見れば、そのリストラのすさまじさがわかりま...
2020年 08月 02日 県議会の同僚の下鶴隆央議員。岩崎学生寮の後輩でもあります。お母さまの旧姓が「床次」といって志布志のご出身であることは、これまで雑談話から聞いておりましたが、県議会の志布志視察のときに、公務終了後、母方の墓参りに行くというので同行させていただきました。志布志で有名な宝満寺です。立派なお墓が並んでいます。下鶴県議も記録を撮っています。床次と言えば、新照院の床次家が有名です。床次正精・床次竹二郎・...
2020年 08月 01日 長崎市に出張で行った時の写真です。幕末期の長崎には、薩摩藩の拠点があり、現地で亡くなった方もおられます。山に這うようにびっくりと墓石が並ぶ広い境内のなかにようやく見つけました。 長崎の鹿児島県人会の皆様も協力により守られているのですね!田布施竹原浦平民 豊満丸水夫 池畑仲助と読めます。同じく久志浦?平民 豊満丸水夫 有馬早吉と読めますね。遠く異郷の地で眠る方。長崎出張のときに訪ねてみれば...
2020年 08月 01日 薩摩川内市の藺牟田のコミュニティセンター。ここには、藩政時代の「藺牟田諸家系図」というのが伝わっています。センターに予約して、閲覧に行ってきました。 藺牟田といえば、近思録崩れで有名な樺山主税(樺山久言)の領地でもあります。樺山家の墓もセンターの近くにあります。樺山家のごく最近の当主は、祁答院町の助役だったそうです。この藺牟田には、樺山氏に仕え、軍功のあった「七﨑」と言われた家があります。...
2020年 07月 26日 鹿児島市薬師2丁目に一般財団法人自彊学舎という、明治11年に創立された民間教育機関があり、ここで郷中教育の伝統を受け継いでいます。西田小学校の隣接地にあり、西田の教育機関として長い実績があります。鹿児島県の認定する「認定かごしま地域塾」の第一号になった場所です。 ここには、西郷隆盛が書いた真筆が伝わっており、普段は西郷南洲顕彰館に寄託されています。毎年、11月23日の招魂祭のときには、1日...
2018年 10月 19日 1つ前の記事で知事のことは紹介しましたが、今回は栃木県に眠る鹿児島県人の紹介です。戊辰戦争のときに、宇都宮城で激戦があり、戦死者が出ております。また、西南戦争後の有罪判決を受けた国事犯で、栃木県で亡くなった方の墓もあります。1.報恩寺:戊辰戦争戦死者14名 伊地知助五郎 薩摩藩小銃第六隊。慶応四(1868)年4月23日宇都宮城で戦死。享年21歳。 井上猪右衛門 薩摩藩兵具第一隊半隊長。慶応...
2018年 10月 19日 昨年、県議会文教警察委員会で栃木県に視察に行く機会がありました。明治の初期に「三島通庸」が県令をしていたのは知っていたので、その前後の県令・県知事を確認してみたら、驚くことがあかりました。なんと、明鹿児島出身者が5人連続続!!期間にして1882(明治15)年10月~1904(明治37)年1月=実に22年です。大山巌や西郷従道の那須の別邸があったのが、栃木県。なぜ薩摩閥で連続して知事を出す必要...
2018年 10月 10日 鹿児島県立図書館の郷土コーナーは私の行きつけの場所ですが、先般鹿児島市立図書館に行ったときに、たまたまいい本に出会いました。「三州諸家史」という本です。この本には、海音寺潮五郎が序文を寄せてありました。この文章が書かれてから50年がたちますが、今でもうなづける内容です。 鹿児島県は歴史の国といわれているくせに史書の少ないところだ。たとえば明治維新の運動の中心動力が薩・長二藩であり、とくに薩...
2018年 10月 10日 鶴丸城の御楼門復元にむけた動きが本格化しています。先日は起工式が行われました。実は私は小学4年生のときの文集に、「城博士になって鶴丸城を復元したい」と書いたほどの筋金入りです。 県議会議員として、その局面ごとに復元にむけたお手伝いをしてきました。平成25年度 経済同友会の皆様による募金が始まったころ、鹿児島県議会に経済同友会の玉川代表幹事をお招きし、募金にむけた講演をしていただき、民間側の...
2018年 10月 09日 先月の地元新聞に、「西郷菊次郎がうちに一時期養子に入っている古い戸籍がある」という鹿児島市の新納時英さんの記事が載りました。この件について、私は「昨年読んだ本にあった」とすぐに思い出しました。 大正7年、日本警察新聞社発行の「鹿児島県政党史」!!100年前の本ですが、実はこれは開架本。すなわち本棚に常時並び、貸し出しもできる本なのです。議員という職務にあり、「鹿児島から総理を出す」という...
2018年 07月 22日 維新150年ということで、様々なイベントが大河ドラマをあわせて、進んでいます。それはそれで評価しているのですが、では「来年は151年事業があるのですかね?」と誰もが「それはどうでしょうか・・」と言葉数は少なくなってしまいます。 私は、先般の議会で、息子の年号覚えの語呂合わせで「鹿児島人にとって大事な年号は、1868年と1877年だ」と指摘しました。戊辰戦争終結・明治維新と西南戦争終結の年で...
鹿児島の血が流れる岸田文雄氏 自民党総裁選挙が終わり...
汾陽一族の墓~興国寺墓地~ 鹿児島市冷水町の興国寺...
さつま町で盛り上がる 私のルーツは、宮之...
国立公文書館にある鹿児島県の資料「竿.. 国立公文書館に鹿児島関...
加世田の園田家=園田新右衛門頼延と園.. 県議会議員の同僚の園田豊...
鋳物師・藤崎利吉とは何者? 幕末の鋳物師に藤崎利吉...
西郷隆盛とイトを引き合わせた有川矢九郎 西郷隆盛の夫人の名前。...
親学(オヤガク)の推進と鹿児島県家.. 26年4月より施行...
坪ちゃんおめでとう。 若き日の私の...
お得な買い物井田精肉店 家内に頼まれて、...