鹿児島県議会議員として4期目。郷土史のことを書いていきます。
2020年 08月 13日 下伊敷の町内会長さんから、「藤崎さん、妙国寺跡を探している史跡めぐりの方がいるのだけど、案内できませんか」との連絡を受け、現場に急行したことがあります。廃仏毀釈で破壊されたお寺で、今では跡形もありませんが、わずかに残る阿弥陀堂と墓石群がかずかに名残をとどめています。もともとはこんなお寺です。(三国名称図絵より)今では地図でこんな感じです。だいたいこの付近です。こんな由緒ありそうな墓石も残っ...
薩摩の歴史のこと
2020年 08月 11日 私のライフワークはご先祖探し。いつだったか、私の先祖の1人が西南戦争で亡くなっているのを発見しましたときに、大変驚いたことがあります。 父方の祖母の母方の祖母サヲの入っていた除籍謄本です。戸主の四位(しい)彦右衛門は、サヲの弟です。彦右衛門は明治3年生まれで、明治12年に相続しています。 もともとの本籍地は、南伊佐郡宮之城郷船木村62番戸。明治25年12月に船木129番戸同居、明治26年8...
2020年 08月 09日 鹿児島県立図書館に「絵で見る明治商工便覧」という本が蔵書されています。この本では、明治時代の国内主要都市にて商工業が発達する様子が描かれています。鹿児島県編を見てみました。私が興味を持ったのは、我が家に関わる同じ苗字の方の商売人がいたのか?ということです。 鹿児島市泉町31番戸に「神泉延寿湯」という風呂屋さんがあったようで、経営者は藤崎宗兵衛とあります。続いて大隅半島。絵の中に2つの地名が...
藤崎さんのこと
2020年 08月 07日 乃木静子の銅像が鹿児島市に再建されたときに、完成披露の場面がありました。その時に調べたのが、関係者の子孫はいるのか?ということです。乃木家の方は、日露戦争で男子二人が戦死して、子孫はいません。そこで、静子の実家の湯地家について書いたものはないか調べたら、乃木静子についてまとめた戦前の本の1ページに書いてありました。 湯地家は、明治維新後に家族そろって東京移住しているので、兄弟の子孫の多くは...
2020年 08月 06日 西郷隆盛の夫人の名前。奄美大島在留中は愛加那さん、鹿児島に戻ってからイトさんの名前が知られています。イトさんとの結婚は誰が勧めたのかというのはよく話題になりますが、書いたものがありました。 「有川矢九郎」ー幕末の薩摩の歴史にちらほらとその存在が知られている方。でも、その半生を書いたものがなく、もっと知られても良い方。イトの母と矢九郎の妻がいとこ同士と書いてあります。そういった理由で、矢九郎...
2020年 08月 04日 明治2年の藩政改革。戊辰戦争が終わり、「御一新」の名前で明治時代がスタートしました。鹿児島城下には、戊辰戦争から凱旋した下級武士が、藩政の改革を求めました。版籍奉還、廃藩置県の少し前のことです。 このときに、島津家の分家筋や、歴代家老職を務めてきた家=門閥の皆様が解職され、下級武士が推薦した人事で藩政を進めることになりました。ちょうど、このページを見れば、そのリストラのすさまじさがわかりま...
2020年 08月 02日 県議会の同僚の下鶴隆央議員。岩崎学生寮の後輩でもあります。お母さまの旧姓が「床次」といって志布志のご出身であることは、これまで雑談話から聞いておりましたが、県議会の志布志視察のときに、公務終了後、母方の墓参りに行くというので同行させていただきました。志布志で有名な宝満寺です。立派なお墓が並んでいます。下鶴県議も記録を撮っています。床次と言えば、新照院の床次家が有名です。床次正精・床次竹二郎・...
2020年 08月 01日 長崎市に出張で行った時の写真です。幕末期の長崎には、薩摩藩の拠点があり、現地で亡くなった方もおられます。山に這うようにびっくりと墓石が並ぶ広い境内のなかにようやく見つけました。 長崎の鹿児島県人会の皆様も協力により守られているのですね!田布施竹原浦平民 豊満丸水夫 池畑仲助と読めます。同じく久志浦?平民 豊満丸水夫 有馬早吉と読めますね。遠く異郷の地で眠る方。長崎出張のときに訪ねてみれば...
2020年 08月 01日 薩摩川内市の藺牟田のコミュニティセンター。ここには、藩政時代の「藺牟田諸家系図」というのが伝わっています。センターに予約して、閲覧に行ってきました。 藺牟田といえば、近思録崩れで有名な樺山主税(樺山久言)の領地でもあります。樺山家の墓もセンターの近くにあります。樺山家のごく最近の当主は、祁答院町の助役だったそうです。この藺牟田には、樺山氏に仕え、軍功のあった「七﨑」と言われた家があります。...
2020年 07月 26日 鹿児島市薬師2丁目に一般財団法人自彊学舎という、明治11年に創立された民間教育機関があり、ここで郷中教育の伝統を受け継いでいます。西田小学校の隣接地にあり、西田の教育機関として長い実績があります。鹿児島県の認定する「認定かごしま地域塾」の第一号になった場所です。 ここには、西郷隆盛が書いた真筆が伝わっており、普段は西郷南洲顕彰館に寄託されています。毎年、11月23日の招魂祭のときには、1日...
2018年 10月 19日 1つ前の記事で知事のことは紹介しましたが、今回は栃木県に眠る鹿児島県人の紹介です。戊辰戦争のときに、宇都宮城で激戦があり、戦死者が出ております。また、西南戦争後の有罪判決を受けた国事犯で、栃木県で亡くなった方の墓もあります。1.報恩寺:戊辰戦争戦死者14名 伊地知助五郎 薩摩藩小銃第六隊。慶応四(1868)年4月23日宇都宮城で戦死。享年21歳。 井上猪右衛門 薩摩藩兵具第一隊半隊長。慶応...
2018年 10月 19日 昨年、県議会文教警察委員会で栃木県に視察に行く機会がありました。明治の初期に「三島通庸」が県令をしていたのは知っていたので、その前後の県令・県知事を確認してみたら、驚くことがあかりました。なんと、明鹿児島出身者が5人連続続!!期間にして1882(明治15)年10月~1904(明治37)年1月=実に22年です。大山巌や西郷従道の那須の別邸があったのが、栃木県。なぜ薩摩閥で連続して知事を出す必要...
2018年 10月 10日 鹿児島県立図書館の郷土コーナーは私の行きつけの場所ですが、先般鹿児島市立図書館に行ったときに、たまたまいい本に出会いました。「三州諸家史」という本です。この本には、海音寺潮五郎が序文を寄せてありました。この文章が書かれてから50年がたちますが、今でもうなづける内容です。 鹿児島県は歴史の国といわれているくせに史書の少ないところだ。たとえば明治維新の運動の中心動力が薩・長二藩であり、とくに薩...
2018年 10月 10日 鶴丸城の御楼門復元にむけた動きが本格化しています。先日は起工式が行われました。実は私は小学4年生のときの文集に、「城博士になって鶴丸城を復元したい」と書いたほどの筋金入りです。 県議会議員として、その局面ごとに復元にむけたお手伝いをしてきました。平成25年度 経済同友会の皆様による募金が始まったころ、鹿児島県議会に経済同友会の玉川代表幹事をお招きし、募金にむけた講演をしていただき、民間側の...
2018年 10月 09日 先月の地元新聞に、「西郷菊次郎がうちに一時期養子に入っている古い戸籍がある」という鹿児島市の新納時英さんの記事が載りました。この件について、私は「昨年読んだ本にあった」とすぐに思い出しました。 大正7年、日本警察新聞社発行の「鹿児島県政党史」!!100年前の本ですが、実はこれは開架本。すなわち本棚に常時並び、貸し出しもできる本なのです。議員という職務にあり、「鹿児島から総理を出す」という...
2018年 07月 26日 国民体育大会にむけて天皇杯皇后杯ともに優勝という掛け声があるが、どうも掛け声倒れの懸念が強いです。 そもそも、少子化で児童生徒が少ないなかで、わが子にスポーツ少年団をさせる保護者の存在というのは、とてもありがたい存在だと思います。また、スポーツを通じて子供たちの心身の成長を見るのが、自分自身の生きがいという指導者の存在がありがたい。仕事がある中で、地域の子供の面倒を見てくださっています。ま...
県議会のこと
2018年 07月 22日 維新150年ということで、様々なイベントが大河ドラマをあわせて、進んでいます。それはそれで評価しているのですが、では「来年は151年事業があるのですかね?」と誰もが「それはどうでしょうか・・」と言葉数は少なくなってしまいます。 私は、先般の議会で、息子の年号覚えの語呂合わせで「鹿児島人にとって大事な年号は、1868年と1877年だ」と指摘しました。戊辰戦争終結・明治維新と西南戦争終結の年で...
2018年 07月 22日 私の政治活動は情報通信分野の技術進展とともに、進化して来ています。この6~7年はFACEBOOKという匿名ではなく、実名制の高いツールをしかもスマートフォンという道具を使って、私なりの思いや、政策実現プロセスなどを発信してそれなりの効果を上げてきました。 しかし、SNSを利用しない皆様もいることも事実であり、また匿名で私の政治活動をウオッチしたいという方への情報発信がおろそかにいました。こ...
2015年 03月 31日 「県庁管理職の皆様は、始め薩摩剣士隼人のことをほとんど知らなかった」―薩摩剣士隼人と県庁各課とのコラボが進んでいます。役所と民間が共同で最大の効果を狙う官民協働(PPP)が訪れていて、薩摩剣士隼人は、鹿児島の効果的PRでまさに、その役割を担いつつあります。その推進の背景には、私の質問に対する議会答弁があります。 (藤崎) 最近、世の中に負のスパイラルが非常に蔓延する中で、これは勢い...
2015年 03月 28日 「鹿児島県立図書館を救え!!!」ー平成25年のこと。鹿児島県立図書館の書庫に余裕がないとの情報を小耳に挟み、質問してみました。すると、27年度末で満杯になるとの答弁でした。 (藤崎)県立図書館は、百年に一度の本のお尋ねにも対応しなければならない保存図書館です。25年度末で書庫の収納可能冊数と、1年間にどれぐらいずつふえていくのか。 (教育長) 書庫の収容能力は約55万冊であり...
2015年 03月 26日 「すっきりなった幸加木川」 県政には地域の課題もあります。幸加木川は、伊敷地区を流れる甲突川の支流です。小野町内会連合会から要望が出されていた幸加木川の伸びすぎた葦の除去と寄洲除去が3月上旬で完了しました。 流路が80%以上塞がれ、大雨の時心配。葦が伸びすぎて、ゴミのポイ捨てを誘発してました。しかも煙草でも投げ込まれたら、火災にならないかと悩みの種でした。 鹿児島地域振興局...
2015年 03月 26日 「鹿児島・秋田・沖縄のご当地ヒーローが地方創生を提言するため、石破大臣に会いたい要望書」 昨年10月の自民党政経セミナーの講師に石破茂地方創生大臣が鹿児島に来たときに、会場からの誘導係でしたので、二人だけの瞬間に、このような要望書を(本当に)渡しました。 テレビの定番枠を持つ薩摩剣士隼人、超神ネイガー、琉神マブヤーの3人が、総理大臣官邸あたりにお邪魔して、この3県での独自の取組を紹介でき...
2015年 03月 24日 「城博士になって鶴丸城を復元したい」ー私は小学4年のときの学級文集にこう書いています。本当にそうなってきました(驚) 島津氏の居城だった鶴丸城の御楼門復元が話題になっています。ちなみに、近くの中央公民館の緞帳は、鶴丸城です。一度ご覧いただけると良いかと思います。 復元費用7億5000万のうち、経済界が中心になって4億5000万円以上集めているのを受けて、鹿児島県も動き出し...
2015年 03月 21日 「西郷隆盛、硬貨デザインに採用ならず!」―地方自治法60周年にあわせて造幣局が地方自治コインを出しているとのことで、調べたところ、裏面は全国共通。表面は各県ごとにデザインを推薦し、国と協議することがわかりました。 高知県は坂本龍馬、佐賀県は大隈重信だったので、「鹿児島県は西郷隆盛でしょ!」と思い、県議会で質問しました。 ー県議会での質問ー 【藤崎質問】硬貨のデザインについて一言御意見申...
2015年 03月 19日 26年4月より施行された鹿児島県家庭教育支援条例―私が条例策定副委員長でした。 執行部提案ではない、議員提案条例は、実務作業を議員自身がしますので、議会に拘束される時間も長くなり、なかなか大変な作業でしたが、なんとかやり遂げました。 家庭の自主性を尊重しつつ、「親としての学び」「親になるための学び」を推進するための財政措置を規定しています。 条例制定過...
2015年 03月 17日 国民体育大会にあわせたスーパーアリーナ整備について、「鹿児島市案」が浮上したものの、いったん撤回になりました。 私はやはり鹿児島市にあるべきだと思いますし、離島の地方自治体からは「鹿児島市に作ってほしい」、また室内競技団体からも「鹿児島市に作ってほしい」と要望があがっています。 この鹿児島湾岸沿いの会社の朝礼にお邪魔すると、その話が必ず出ます。鹿児島市区選出県議として、鹿児島市に誘...
2015年 03月 15日 活動拠点となる私の自宅のある西伊敷に事務所をつくり、後援会活動を強力に推進しています。 事務所は小さく(>_
2014年 12月 26日 「47都道府県の青年たち わが県の明日を担う青年のすがた」―鹿児島県出身の舞田敏彦氏の著書です。舞田氏は、武蔵野大学講師で38歳。新進気鋭の研究者のようです。鹿児島の将来を占ううえで、参考になります。
2014年 11月 22日 衆議院が解散になりました。しかし、私自身のことも着々準備中です。本格的な後援会活動の拡大にむけて、「藤崎たけしの訴え」がほぼまとまりました。現在、印刷に取り掛かっています。各陣営の動きも激しく、遅れをとらないか心配しています。
2014年 11月 13日 藤崎たけしの有効なつかい方(講演資料より) 1.県議会議員の身分 市または郡単位で選ばれる特別職公務員。鹿児島市からは17名。全県で51名。任期4年。 2.二元代表制のバランス感覚 知事=選挙で選ばれる。マニフェストで訴えた実現したことを実現したい。予算編成権あり。議会が予算を承認しないと、マニフェストは実現できない。 議員=選挙で選ばれる。自分なりに政策を訴えて当選。予算編成...
西伊敷の祭り=銀河ロード祭り大盛況に.. このところ、西伊敷の夏祭...
国立公文書館にある鹿児島県の資料「竿.. 国立公文書館に鹿児島関...
西伊敷の店に買い物に 挨拶まわりを...
金禄公債証書渡牒よりさつま町部分人名 鹿児島県には公文書館が...
行ってみよう!小松帯刀の子孫の店 東京出張のときの写...
藺牟田郷の郷士の系図を見に行く 薩摩川内市の藺牟田のコ...
伊敷にあったお城・伊敷城跡 下伊敷の伊邇色神社、伊...
思い出の場所 先週西伊敷をチラ...
1968年当時の「20年後のかごしま」 1968年(昭和...
親学(オヤガク)の推進と鹿児島県家.. 26年4月より施行...